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2007年7月31日 (火)

「インランド・エンパイア」その後のその後のその後

うーむ、なんか公私ともになんかバタバタ気味で、なかなか「インランド・エンパイア」を観に行くタイミングがないんでやんの。やっぱ、3時間の映画ってのは、こーゆーときに効きますわね。早く座席予約ができる劇場での上映が始まってくんないかなと思ってたりするのだけども、そこまで待つんならもう少しで北米版DVDが出たりするしな。

とゆーわけで、再鑑賞に備えて「インランド・エンパイア」に関する現時点での自分の受け取り方というヤツの整理整頓追加補足をば。

「映画についての映画」であり、根底に「リンチの映画に対する極私的な思い」があるというのは何度も述べたとおり。

では、その「映画に対する極私的な思い」というのが具体的にどーゆーものかというと、メインになっているのはリンチ自身のお言葉にもある「魔法のようなメディアである」ということですね。他にもいろいろと「リンチの思い」は詰まっているけれど、メインになっているのは、やっぱ、ソレ。

じゃあ、そのリンチが言う「映画の魔法」って具体的にナニよ……っていうと、映画というメディアにまつわるモロモロの「感情移入」のことだっつーのが大山崎の「インランド・エンパイア」に関する基本的な受け取り方です、今んとこ。

このあたりはあれこれやチンタラ述べてきたリンチ自身の諸作品の特徴、つまり「表現主義的な手法で登場人物の感情を描くことを主眼としている」とゆーところから帰納法的に「リンチが感じていること」を推し量ったもんだ……という具合にご理解くだされ。あうあう、話が回りくどいのう(笑)。

んでもって、そういう視点で観ると、作中に登場する「顔に対する加工がされた登場人物」をどう受け取ればいいか、なんとなくみえてくるように思うんですね、コレが。たとえば冒頭に登場する「顔が黒くかき消された男女」は、まだ観客側の「感情移入」が完了していない段階の登場人物なんじゃないか、とか。あるいは、クライマックスでの「ファントムの崩壊」は、誰にでもなれる「演技(これも俳優による役柄への感情移入だ)」というものの「凄さ奥深さ」と「うさんくささ」の両面性を表していると読めるんではないか、とか。

ま、かように、モノゴトにはポジティヴな面とネガティヴな面の「両面」があって、リンチのいう「映画の魔法」は、そのまんま「映画の魔」に通じるんじゃないか……とか愚考してたりするわけでございマスね。

とまあ、とりあえずはンな方向に従って二回目の鑑賞をすることになると思うのでありますが、さーて、どーゆーことになりますやら。

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