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2007年7月29日 (日)

リンチ系ヒマネタ (3)

古典ハリウッドの映画文法は、ストーリーを語ることに特化しているといえる。エスタブリッシュメント・ショットやカット・イン・アクション、180度ルール等のテクニックは、観客に対し物語を効果的に伝えることを主眼としたものだ。少なくとも現在のところ、映像でなにかを伝達するうえでスタンダードな手法であり、ひいてはナラティヴな作品においてストーリー上の展開を心理上の展開を重ね合わせるうえでも、これらのテクニックが非常に効果的なのはいうまでもない。

裏をかえすと、大抵の観客は映像作品を観るとき、それが古典ハリウッド映画文法によって「記述」されていることを予測し期待しているはずだ。そして、それに基づいて理解しようとする。

もちろん、ハリウッドが作る映画に対するアンチテーゼとして古典ハリウッド映画文法から逸脱したり、それを無視している映画作品はいくつも存在する。それはそのまま「映画」というメディアが時間をかけて発達し、過去に取り上げられなかった題材を取り上げ、新しい表現を手に入れつつ、その幅を広げてきたということに他ならない。リンチの作品も、そうして「広がった幅」のなかで語られるべきなのは確かだ。

問題をややこしくしているのは、にもかかわらず非ナラティヴなリンチ作品も、基本的に古典ハリウッド映画文法を遵守していることだ。こうした映像テクニックが得意としているストーリーを語ってもいないのに、だ。リンチ作品に初めて触れた観客がまず混乱するのはこの点といえる。最初から「映画文法の逸脱あるいは無視」があれば、むしろ「そういうもの」として観客は理解できるはずなのだが、リンチ作品はそれを許さない。古典ハリウッド映画文法によって記述されたナラティヴなものとして受け止めかけていた作品が、突然その容貌を変えたように感じてしまう。

しかし、詳細にみると、リンチ作品においてこうした編集文法が遵守されているのは、ひとつのシークエンスのなかにおいてであることがわかる。つまり、局地的な「因果律」が成立しているスパンにおいて、こうした編集が機能しているわけだ。

たとえば、「ロストハイウェイ」における「山道の交通道徳講座」のシーンは、この部分だけを切り出してみた場合、「因果律」が成立しているといえる。交通道徳を守らず、先行車をあおったドライバーが(私的に)処罰される。ただし、これは「追跡・追求・処罰」という、「ロストハイウェイ」において繰り返し登場するモチーフのひとつのヴァリエーションであることがわかるだろう。つまり、このシーンは、このモチーフを局地的な時間軸に沿って「展開」してみせたものなのだ。

画家を目指していたリンチが映像製作に手を染めたきっかけが、「絵を動かしてみたい」という衝動にかられてであったことは、リンチ自身の言葉によって何度も説明されている。リンチの映像作品における各シーンは、文字どおり「動く絵」であり、「時間経過とともに変化する絵画」であるといえる。そして、その「動かし方」が、ハリウッド古典映画文法に則っているわけだ。リンチ作品は、数多くのそうした「時間軸に沿って展開されたモチーフやアイデア」が集まって成立しているんである。

……もそっと続く、かもしんない。

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