フォト
2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 「インランド・エンパイア」再鑑賞のためのメモ (2) | トップページ | 「インランド・エンパイア」米版DVD続報だったり »

2007年7月24日 (火)

リンチ系ヒマネタ (2)

今回はナラティヴと非ナラティヴのことなんか、ぶっ書いてみる。

すんごく単純化してしまうと、ナラティヴな作品というのは、ストーリーの展開に沿ってキャラクターたちの変化を描くものであるといえる。つまり、物語の展開が登場人物たちの心理的展開と合致した形で進むとゆーのが、まずは基本の形(もちろん例外もあるけど、それは今回はおいとく)。

たとえば「人間的に未熟な人物が、重大な苦難に直面し、それを乗り越えた末に成長する」というのは非常によくあるプロットだけれど、ナラティヴな作品の構造を説明するうえでとてもわかりやすい。ストーリーがエスカレートするにつれて主人公の心理状態がエスカレートし、それに連動して主人公に対する観客の感情移入も深まっていって、物語が「苦難に対する回避・解決」に至った際に、なにがしかの心理的カタルシスを観客が得る……つーのが、まあ、ナラティヴな作品がもつ構造の典型例なんであります。

んでもって、ナラティヴな作品における物語&心理上のエスカレーションは、「因果律」によって支配されてたりする。ある出来事が原因となってその後の出来事が起き、次から次へと連鎖反応的に出来事が発生して、最終的になんらかの結末へと収束していくというのがフツー。つまり、出来事の発生は時系列的であるといえるわけですね。もちろん、ストーリー記述上のテクニックとして省略や順序の入れ替えを伴ったり、同時発生した出来事が並列的に述べられるケースはある。いっぱいある。んが、大抵の場合、観客側が自分で時系列を整理することによって「直線的(リニア)な時間軸」が認識可能なことに変わりはない。

さて、では、こういった点に関して、たとえば「ロストハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」なんかではどーなっているかというと。これらの作品では、作品内の出来事がそれに続く出来事の直接発生原因として認識できるケースは極小だ。部分的に出来事同士をつなぐ「因果律」が確認できたとしても、それは局地的なものであって作品全体を通しては成立しない。時系列整理を試みても結果は同じで、作品内の出来事を因果律をもった直線的な時間軸に沿って並べることは不可能だし、無意味。結果として、こうしたリンチ作品はめでたく「非ナラティヴなもの」として分類されることになる。

「ロストハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」といった作品において「映像」として提示されているのは、登場人物の主観や感情によって歪められた表現主義的なイメージだけ。観る側はそうした断片的なイメージ自体から、それがどういう感情や主観によって歪められているかを理解することを要求される。そもそも「非ナラティヴ=物語がない」作品において、「物語展開と心理展開の合致」など存在するわけがない。物語上のエスカレーションと連動してではなく、それ抜きで心理上のエスカレーションを描くのがリンチ作品だ。

ってなわけで、逆にいうと、どういう手順によってであれ、描かれている「感情や主観」といった人間の内面をなんらかの形で読み取れたならば、それはリンチ作品を理解したことになるといえるわけスね。たとえ細部は完全に理解できていなかったとしても。

……多分、きっと、続く。

« 「インランド・エンパイア」再鑑賞のためのメモ (2) | トップページ | 「インランド・エンパイア」米版DVD続報だったり »

デイヴィッド・リンチ」カテゴリの記事

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/215302/15863948

この記事へのトラックバック一覧です: リンチ系ヒマネタ (2):

« 「インランド・エンパイア」再鑑賞のためのメモ (2) | トップページ | 「インランド・エンパイア」米版DVD続報だったり »

最近のトラックバック