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2007年7月22日 (日)

「インランド・エンパイア」再鑑賞のためのメモ (2)

※完全なスポイラーなんで、「インランド・エンパイア」未見の人はパスをお勧めします

ドロシー・ラムーア(Dorothy Lamour 1914/12/10~1996/9/22)

1931年度のミス・ニューオーリンズ。歌手としてデビューし、ハービー・ケイ・バンド(Herbie Kay band)のボーカリストとしてシカゴのラジオ番組などに出演する。

1933年にハリウッド進出。ノンクレジットを含めた端役をこなしたあと、女ターザンもの「ジャングルの女王 The Jungle Princess」(1936)のウラー(Ulah)役で人気を博し、セクシーなサロン(腰巻)姿が評判になる。その後「ハリケーン The Hurricane」 (1937)、「タイフーン Typhoon」(1940)、「青い水平線の彼方  Beyond the Blue Horizon 」(1942)などの南方系作品で同様の役をこなし、サロン姿は彼女のトレードマークになった。

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ビング・クロスビーと ボブ・ホープの「珍道中」シリーズにも相手役としてレギュラー出演しており、日本ではむしろこちらのほうが有名かも。戦時中はリタ・ヘイワーズやラナ・ターナーなどと並んでピンナップ・ガールとして人気に。

DorostyLamour5

いつまでもサロン姿がもてはやされることに嫌気がさし、1946年にはパラマウント宣伝部の仕切りのもと、ステージ上でサロンを焼くパフォーマンスをしたりした。また、NBCラジオの「Sealtest Variety Theater (The Dorothy Lamour Show)」 (1948-1949)のホストもつとめた。

Hollywood Walk of Fameには、彼女の名前が入った「星」が2箇所ある。ひとつはラジオでの仕事に対して(6240 Hollywood Blvd.)、もうひとつは映画での活躍に対して(6332 Hollywood Blvd.)。ニッキー=スーがドライバーを腹部に刺されるシーンが「撮影された」のは、後者のほう。

ラムーアの語録として「まともな女性としては、私は業界でいちばん幸せで、もっとも稼いでいた(I was the happiest and highest-paid straight woman in the business)」というのが残っている。サロンを焼くパフォーマンスといい、彼女の潔癖な一面がうかがえる発言といえるかもしれない。殺害現場としてラムーアの「星」が選ばれたのは、彼女がそうした面を持ちつつハリウッドで成功したことを踏まえたうえでの、娼婦(役)であるニッキー=スーとの対比を意図してなのか?

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