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2007年6月22日 (金)

「インランド・エンパイア」その後

外部記憶装置として頼みの綱だった某氏は、体調不良で「インランド・エンパイア」の試写会に行けなかった様子だ。うむ、残念無念。つか、他人の記憶に頼るなってば(笑)。

ちょいちょいと「インランド・エンパイア」の試写関連の記事を検索したりしてるんだけど、まだ日本では一般公開されてない映画のこととて、ネタバレをおそれて抑えた書き方をしてる向きも多いようだ。内容に踏み込んだ記事が出てくるのはまだ先のことでしょ、海外でもそうだったし……とわかってはいるものの、やっぱ一部を除いて「紋切り型」の反応が目立つのは、ちょっとサミシイ。

そうした「紋切り型」の記事のなかで個人的に引っ掛かりを覚えるのは、「あーだこーだと悩む観客をリンチは嗤っている」という言い回しをしている文章だ。もちろん本気でそう考えてるわけではなく、リンチ作品の難解さを表すための単なる「修辞的表現」なのは理解できる(だよね?)。にしても不必要な誤解を招くおそれのある表現であって、とり方によっちゃリンチに対して非常に失礼な言い様であるように思うのだが、間違っているだろうか?

念のため、あくまで念のため言っておくと、自分が目にした範囲のインタビューとかトークとか本人が書いた文章から推測するかぎりでは、デイヴィッド・リンチは「観客を嗤う」というようなスタンスの人ではない。少なくとも、よく知られる形で、表立ってそれを裏付けるものは何もない。これがテリー・ギリアムあたりだと、別な意味でそうかなと思ってしまうけど(笑)。

何がなんでもリスペクトしなきゃならんと言い張るつもりはないし、あんまり堅苦しく考えても仕方のないことなのかもしれない。が、ことリンチに関するかぎり、「リンチという個人」についてのこうした不確かな「言説」が一人歩きしているケースが多いと感じるのは、勝手な思い込みだろうか? あるいは「誤った作家主義」の典型例に過ぎないのかもしれないけど、そんなのでお茶を濁されるよりは、たとえ否定的な意見であろうと作品に対する各人の考えを明確にしてもらったほうがナンボかマシだ。

単なる観客ならいざしらず、映画に関する文筆を生業にしている者であるならば、そうした「常套句的な修辞表現」や「根拠のない言説」に頼らないと文章を書けない自分を省みるべきなんではないか……と、無責任に書きたいことを書き殴る「単なる観客」である自分を棚に上げて、キツいことをツブやいてみたりなんかする今日この頃なのであった(笑)。

追記: 「映像作家が自身を語る デイヴィッド・リンチ 改訂増補版」からのリンチ自身の発言を引いて結論にしておく。「あなたは観客を悩ませたり、煙に巻いて楽しんでいるのではないかなと思うことがあるのですが」というインタビュアーの問いに答えたものだ。

「いやいや、観客に対してそんなことはしない。ただ、アイデアが出てきたときには、それが一番生きる形で表現しようとしているだけだ」

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