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2007年6月11日 (月)

「インランド・エンパイア」を観た(1回目) (5)

「インランド・エンパイア」に関して各所で評判になっているのが、リンチがフィルム撮影を離れてデジタル・ヴィデオを使ったことと、あらかじめ完成したシナリオを用意せずに断片的に撮影を行ったことだ。個人的には、実はリンチにとって、これがもっとも理想的な映画製作の方法なのではないかという気がする。

思うのだが、リンチにとって、まず大事なのは各シーンの断片的なアイデアやモチーフなのではないだろうか。そして、その個々のアイデアをなんらかの共通する横糸で縫い合わせてつなげていくことで、ひとつの作品としてまとめあげていると思われる節がある。

たとえば「イレイザーヘッド」や「ロストハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」といった非ナラティヴな作品においては、その横糸となるものは主人公の感情だった。「ブルーベルベット」や「ワイルド・アット・ハート」といったナラティヴな作品においては、横糸は(とりあえずは)ストーリー・ラインだ。

ひょっとしたら、リンチがもっとも時間をかけているのは、こうした横糸を見つける作業なんではないだろうか。特に、ナラティヴな方向の横糸を見つけるのが大いに苦手であろうことは、なんとなく予想がつく。ナラティヴであるということは大抵の場合「あらすじ」に変換可能だということだし、それは乱暴にいえば言語的であるということだ。作品を観るかぎり、リンチはどう考えても言語的な作家ではない。「マルホランド・ドライブ」でみせたような、「キャンセルされたTVドラマのパイロット・フィルム」という巨大なフラグメントを利用した荒業は、ナラティヴな方向の横糸では不可能だっただろう。

おそらくこれから、リンチは浮かんだアイデアを無形のまま残さず、可能なかぎりDV撮影による映像素材に変換するという方向に進むはずだ。そして、自分の公式サイトで発表できる素材は発表しつつ、なんらかの横糸を思いついた時点で一本の作品にまとめる……という方法論をとると思う。

同時に、ナラティヴな方向に作品をまとめることも、多分、なくなる。もともと表現主義的な抽象絵画からスタートし、「時間経過とともに変化する絵」を目指して映画作製に手を染めたリンチにとって、それがもっとも自然な形だと思うからだ。

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