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2007年6月10日 (日)

「インランド・エンパイア」を観た(1回目) (3)

ここからは戯言に近いのだけど、もうひとつポイントとして挙げておきたいのが、自由化以降のポーランドの映画産業の状況だ。体制崩壊以後、旧共産圏の映画産業は「政府」というスポンサーを失い、大打撃を受けた。詳しい状況は以下の記事のとおり。

【新ポーランド考】(7)民主化が映画界を低迷させた

映画復興に向けて動き出したポーランドの国際映画祭にリンチが招聘されたことがあるのは周知のとおりで、リンチが上記の記事に書かれているようなポーランドの映画産業が置かれている状況を知っているのは、まず間違いない。

作中に登場する製作が中断されたポーランド映画は、つまりは 「ポーランド映画産業の状況」の象徴ではないだろうか? そして、その中断されたポーランド映画のリメイクを作ろうとするハリウッドは……あ、そのまんまだ(笑)。

だが、リンチ自身は長らくハリウッドの資本で映画を撮っていない。近作はすべてフランス資本をメインにしたものだ。ハリウッドの住人でありながらハリウッド資本で作品を作らせてもらえないリンチにとって、ポーランド映画産業の状況は他人事ではなかったハズだ。

となると、「インランド・エンパイア」に登場する「呪われたポーランド映画」は、実は 「映画というメディアにかけられた呪い」のリンチ流の言い換えであるような気がしてくる。その「呪い」とは、ベラ・バラージュが「視覚的人間」で指摘しているように、映画がその誕生のときからずっといつも「産業化されたもの」 であったということだ。

小説や絵画にくらべて多額の製作資金を必要とし、多くの人間の共同作業によって作られる映画は、よっぽどの例外を除いて常に「投資と回収」の対象であり続けてきた。そのための制約や限界を、リンチは(いや、おそらくは映画監督のほどんど全員が)身をもって、イヤというほど知っている。「インランド・エンパイア」にはハリー・ディーン・スタントン演じる金の無心をを繰り返す助監督が登場するが、映画産業のある一面の象徴として、非常にリアルというしかない(笑)。

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