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2007年6月10日 (日)

「インランド・エンパイア」を観た(1回目) (1)

デイヴィッド・リンチの新作「インランド・エンパイア」を試写で観てきた。一言でいうと「マルホランド・ドライブ」以上に「映画についての映画」だった。

リンチ独特の表現主義的手法は「ロストハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」と変わらず、 非ナラティヴな作品であることも変わらない。だが、若干、方向性が違う。最大の違いとして挙げられるのは、前二作は主人公の感情をキーにした理解が可能だったが、「インランド・エンパイア」は(一応の主人公と目される)ニッキーの感情をキーにしただけでは理解できないことだ。

何故かというと、この映画は、ニッキーをはじめとする映画の作り手側だけでなく、たとえばロスト・ガールという観客の映画受容の形までも含めた、映画に関する多彩な局面について描いているからだ。だから、もし、あえてこの作品全体のキーになるものを挙げるとすれば、それは映画に対してリンチが抱いている感情なんじゃないかと思う。

そのひとつの表れが前述のロスト・ガールの映画受容の形で、彼女は映画館で映画を観ていない。彼女が観ているのはザッピングされるTVモニターに映し出された映像だ。そして、そこに映される映画は、同じくモニターに映し出される「Rabbits」の映像と等価なものとして、まったくの地続き(部屋続き)に扱われている。

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「Rabbits」が、アメリカ のいわゆるシットコムと呼ばれる形式のTVコメディに対するオマージュもしくはそのパロディであることは明白だ。 もともとリンチの公式サイトでは全9話のシリーズとして公開されており、 その点でも完全にシットコムのフォーマットを踏襲しているといえる。そもそも、リンチのシットコム(あるいはそのパロディ) に対するこだわりは、「オン・ジ・エアー」をみてもすでに明らかだろう。

映画が映画館の興行収入だけでなく、DVD等のソフトの売り上げやTV等の放映権料も見込んで作られるようになって久しい。結果として映画は、映画館のスクリーンでなく家庭でモニターの画面を通して、 TVドラマなどと同列に視聴されることが当たり前になってしまった。この作品でリンチが「Rabbits」の映像をこういう形で使ったのは、そうした現状の示唆を意図してるんじゃないだろうか。

そう考えると、ロスト・ガールは、変容してしまった映画受容の形に対するリンチの「苦渋」 の象徴のように思えてくる。そして、ニッキーとロスト・ガールが抱擁をかわすシーンは、たとえ受容の形は変わっても、やはり観客の心を揺さぶり得る映画というものに対するリンチの「希望」 、そして「観客への信頼」の表れであるように読める。

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